-特別企画-
 インドネシアで活躍する103系 【Part3】
最終更新日
 2008年11月28日

【注意】
 2008年2月頃から車両基地での撮影は許可書が必要となりました。本サイトに掲載している写真は、事前にPT.KAI 本社に出向き撮影許可書を発行していただいた上で撮影したものです。


 ■103系編成表 ( 2008.11.06現在 )
編成番号  Jakarta Kota・Tanah Abang Depok   前回検査
71 クハ103−822 モハ102−2009 モハ103−752 クハ103−815 2008.04.29
73 クハ103−359 モハ103−654 モハ102−810 クハ103−384 2008.06.30
編成番号  Kampung Bandan Jakarta Kota・Tangerang   前回検査
72 クモハ103−153 モハ102−321 サハ103−210 クハ103−632 2008.08.21
編成番号  Jakarta Kota Depok   前回検査
70 クハ103−597 サハ103−246 モハ102−231 クモハ103−105 2008.07.21

新塗色になったクハ103−822
 インドネシアに譲渡後、2回目の塗色変更を受けたクハ103−822。いまだに日本で使用されていた行先表示幕が健在で、日本車らしく「東京」を掲出。
2008.11.04  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴

▲元東急8000系と並ぶクハ103−822
 両編成とも日本語表記の「試運転」幕を掲出。一瞬日本かと錯覚するような光景。
2008.11.04  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴

▲現地の車輌(KL3-78118)と並んだクハ103−384
 
装甲車のようなKL−3は、1978(昭和53)年に川崎重工で製造された日本生まれで、同じく川崎重工製のクハ103−384とは同郷に当たる車輌。遠く異国の地で同窓会(?)
2008.11.04  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴

▲クモハ103−105(左)とクハ103−384(右)の顔合わせ
2008.11.04  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴

クモハ103−105
 故障中で修理待ちのクモハ103−105。
2008.11.04  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴

クモハ103−105
 翌日も同じ状態で留置中。今回の訪問中、走っている姿を見ることはできませんでした
2008.11.05  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴

モハ102−231
 クモハ103−105の相方のモハ102−231はコンプレッサーが外されていました。
2008.11.05  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴

クモハ103−105の焼け焦げた断流器
2008.11.05  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴

外されたジャンパ栓
2008.11.05  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴

車内に運び込まれた機器類
2008.11.05  DEPOK電車区(許可を得て撮影)  P:田中 將貴


同じく新塗色化されたクモハ103−153
2008.11.06  ジャカルタコタ  P:田中 將貴

クモハ103−153の正面アップ
2008.11.06  ジャカルタコタ  P:田中 將貴

▲クハ103−384を先頭に走る2編成併結の8輌編成
 後位に連結されているのはクハ103−815+モハ103−752+モハ102−2009+クハ103−822の編成。よ〜く見ると両編成ともモハ102が編成の外側に連結されていて、片方の編成が方転されてクハ103奇数車同士が向かい合っている様子が分かる。
2008.11.03  MANGGARAI  P:田中 將貴

▲夜のMANGGARAI駅で発車待ちの103系
2008.11.03  MANGGARAI  P:田中 將貴


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